断酒会との出会い
土浦霞ヶ浦断酒会
K・A
私は二十歳の時、初めて酒を飲んでから酒が大好きになり、気付いた時には毎日の様に浴びるほど飲んでいました。 誰しもがそうかも知れませんが飲み始めは興味本位だったと思います。 飲み屋の雰囲気が好きで家で飲むよりも外で飲む事が多く、酒代も馬鹿になりませんでした。そしてサラ金でお金を借りる様になりました。借金を隠したまま二十三歳で妻と結婚しました。今思えばその時既にアルコール依存症に成っていたのかも知れません。 それから二十年間、会社の飲み会やプライベートで飲みに行った際の失敗は数知れず。何度も何度も世間の皆様にご迷惑をお掛けしました。妻を何度泣かせた事か・・・。その都度妻に助けらました。 その頃はアルコール依存症(アル中)等遠い世界の話で私とは無縁と思っていました。失敗する度に妻に「何で記憶が無くなるまで飲むの?途中で止められないの?次回は二次会までで帰って来なさい!」と言われ自分でも、そうだなと思い「分かったよ。」と返事をするのですが一口飲んでしまうとそんな事も忘れ止まらなくなり酷い時だと次の日の昼ごろまで(自分がダウンするまで)飲む場所が無くなるまで飲んでいました。 そんな状態なので妻からのお達しで必ず飲みに行くのは休みの前日と決まっていました。休みの前日が楽しみでなりませんでした。しかしいつの日か、気付いてみると仕事のある日も仕事帰りに大量の缶ビールや缶チューハイを買って家で記憶を失う迄飲んでそのまま寝てしまい朝起きたらシャワーをどうにか浴びて会社に行く事も珍しくなくなっていました。 小遣いだけでは酒代が追い付かなくなり、またサラ金に借金をしてまで飲み続ける日々が続きました。(結婚前の借金はバレて二度と借金をしない約束で完済して貰っていました)
二〇一〇年十二月三一日。(大晦日です。)大事件を起こしてしまいました。大晦日だからと理由を付けて昼間から浴びるほど家で飲んでいた私は大好きな紅白を観出した頃にはベロンベロンに酔っ払っていました。 そして家の中では禁煙だったので玄関の外に出てタバコを吸い始めた様です。(酔っ払い過ぎて実はあまり覚えていません。)恐らく吸引と共に気を失ったと思われる私は卒倒しました。 妻の話によると物凄い地響きがしたそうです。妻が玄関から出た時には額から大流血。辺りは血の海だったそうです。(今でも傷跡があります。)救急車で運ばれました。酔っ払いが倒れたという理由だった為、複数の病院に受け入れを断られたそうです。ようやく、つくばの病院に了解を頂いたそうです。 気づいた時には病院のベッドの上でした。朝まで妻は待合室でじっと待っていてくれたそうです。アパートだった為、その時不在だった隣の部屋の方は帰っていらした時に血の海を見てパニックだったそうです。警察に通報し鑑識係が血液を調べたり、近所の家に聞き込みしたりと・・・。これを我が家では「命の恩人事件」と呼んでいます。こんなに妻やご近所や救急隊の方にご迷惑を掛けたにも関わらず、酒の魔力は強く止める事が出来ませんでした。何週間かは妻と回りの目を気にして酒を止めていた記憶がありますが、気づいた時には元に戻って連続飲酒の日々が続きました。
そんな抜け出せないループ状態に陥っていた私を救ってくれたのは今回も妻でした。忘れもしない二〇一三年一〇月四日(金)。その日も朝まで飲んでいた私に妻が「飲み方がおかしい。そんな金が有る筈がない。また借金をしているんじゃないの?」と問い詰めてきました。 今までも何度か同様の質問をされても否定して逃れ続けて来たのですが、今回は妻が正直に話すまで許してくれず全て正直に白状しました。当然の如く妻は号泣。今回ばかりは離婚問題にまで発展し、家にも入れてもらえず別居をする為のアパートまで探しに行きました。 仕事にも行かなければならないのでどうにか家に入れて貰い、これからどうするのか話し合いを続けていきました。金も取り上げられ自分の中でよっぽどショックだったのか分かりませんが翌日の一〇月五日からは全く飲んでいません。(恐らく初めての事だと思います。) そんな状態にも関わらず妻がインターネットで色々調べてくれて、「アルコール依存症なんじゃないの?」とここでようやくアルコール依存症に辿り着きました。 そして二〇一四年一月二三日(木)十三時半から、土浦保健所で毎月第四木曜日に行われている「アルコール家族教室ミーティング」に参加。本当に行きたく有りませんでした。何を責められるのか?何を追及されるのか?不安でいっぱいでした。妻に引きずられ、いやいや行ったのを覚えています。 ところが私が思っていたのとは大きく違いました。何一つ責められることも追求されることも有りませんでした。実際のところ緊張と不安の為か参加されていた皆さんのお話も自分と妻が話した内容も一切覚えていません。そこで運命の出会いと言っていいでしょう。Tさんご夫妻に初めてお会いしました。そこで断酒会を紹介されました。「何時でも気軽にいらっしゃい。」と声を掛けて頂きました。その後一五時から豊後荘病院のケースワーカーさんにカウンセリングを行なって頂き「アルコール依存症」で有る可能性がかなり高いと診断されました。 病院と断酒会のどちらに先に行くのか悩みましたが断酒会に先に伺う事にしました。 我々夫婦にとって「救いの神」とはこの事だと感じました。断酒会に始めて伺った時も何を責められるのか?何を追及されるのか?と不安でしたが皆様暖かく迎えて頂きホッとしました。 正式に二〇一四年三月一日付けで入会をさせて頂きました。二〇一三年一〇月四日から五ヵ月。長い道のりでした。 もっと年齢が若い時点でアルコール依存症や断酒会の存在に気付いていれば良かったと感じています。お陰様で入会から二年一〇ヵ月断酒が継続出来ています。これが断酒会の不思議な力です。今まで断酒をしようと試みた事が何度も有りましたが一人では止める事が出来ませんでした。妻と断酒会の皆様には感謝の言葉も有りません。これからも断酒例会に参加し一日断酒で頑張って参ります。皆様これからもご指導ご鞭撻の程宜しくお願い致します。
酒害問題でお悩みの方一度ご相談を 連絡先:029-822-1895 高橋
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