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活動報告

当事者家族体験談・6 断酒会とは【お酒での問題のある方】

最終更新日:令和3年4月3日

投稿団体 NPO法人 茨城県断酒つくばね会 土浦霞ヶ浦断酒会
活動報告
内容

はじめに、私は二〇一〇年(五十歳)三月に、アルコール依存症と鬱病の診断で、豊後荘病院に入院しました。家内が、私との生活に苦しみ・悩み果て薬にもすがる思いで、インターネットで調べ、T理事長夫妻と繋がる事が出来て、受診をすることに至りました。

当時は連続飲酒の連続で、依存症の末期状態。飲まないと離脱で苦しく、隠れ飲酒で脱しょうとしても、元の状態には戻れませんでした。そして体力を削られ尽くし、入院となりました。

私の生まれ育ったA県は、飲酒にはとても寛容な土地柄で、飲酒習慣率も全国最悪、平均寿命が最も短い県です。父親も大酒豪で、依存症の名称こそ付かなかったが、五十九歳の時に急性心不全で、突然死をしました。また叔父も三十歳で依存症になり、苦しみました。

そんな様子を小さい頃から散々見て、辛い思いをしてきました。

しかし、自分自身も気が付いたら、

同じ依存症になっていました。

初めて飲酒したのは、十八歳。

学生の新人歓迎コンパで、先輩方に無理やり飲まされ泥酔して下宿に帰りました。早朝にお腹の激痛で目が覚めて、七転八倒の苦しみでどうにもならず、すぐに胃腸科医院を受診しました。診断は、胃潰瘍で手術が必要と宣告され、胃の切除をしました。その時は胃の切除をした人は、依存症になり易いなど、知る由もないのです。

(胃が無く小腸で吸収される為、酔いが早く廻る)。手術後一年間は禁酒し、二十歳頃から再度飲み始めました。社会人になって飲酒する機会が多くなり、仕事の後の一杯が習慣となりました。深酒をすると翌日は、二日酔いの憂鬱な状態が、午前中まで続きました。

しかし、仕事が終わり夕方になるとまた一杯のみ、晴れ晴れとした気持ちと高揚感で、ストレス発散を自覚するようになりました。

この繰り返しが、鬱病へのきっかけとなったのではと考えます。

この時既に、依存症への坂道を登り始めていたのです。

三十歳で結婚しました。その頃から深酒をするようになると同時に、

迎え酒を覚える様になりました.

二日酔いの憂鬱感を発散させていたのは、依存症の初期段階たったと思います。

また数年間は、毎年五月の健康診断のため、四月から一ヶ月間の禁酒をしていました。γ―GTPの値が下がり、「うん、大丈夫。」とまた飲み始めましたが、以前にもまして酒量が増えていきました。

これはすでに依存症で、「スリップ」

を繰り返していたのです。その後、四十代で依存症にまっしぐら、後半はアルコールでドロドロの状態になり、職場と家族に迷惑を掛け続け、五十歳で力尽きて入院となり、依存症と鬱病の治療が始まりました。退院後は、躁状態や自殺企画、二度の水中毒になりました。

このようなトラブルを起こしながらも、徐々に回復していきました。

この様な私を、温かく見守り応援して下さった断酒会の皆様には、

本当に感謝致します。

最後に、私も父が亡くなった年齢になりました。

残念ながら過去は変えられません。

どうしたら二度と同じ失態を起こさないかを考え、断酒例会に出席し過去を願いみて、人に笑われない生き方をしようと思います。

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