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イベント情報

当事者家族体験談・8 断酒会とは【お酒での問題のある方】

最終更新日:令和3年4月3日

主催者
開催日
開催時刻
会場名
内容

アル中歴、二十六年

水戸断酒会  I・H

私は依存症と診断されて、二十六年経ちました。高校を卒業と同時に酒を覚え、二十歳の頃には依存症の下地ができていたのではないか?と思います。飲むたびに他の人と同じように酒を飲むことが出来ず、飲んでは吐き、吐いては酔い潰れ、最後まで皆と楽しく飲むことが出来ません。飲み始めは気を付けながら飲んでいますが、そのうちにわけがわからなくなり、最後には寝てしまう。やみくもに飲んでアル中に向かって訓練しておりました。今思うに、アル中の体質はここまでで、出来上がっていたのではと思われます。二十三歳で結婚し、子供も出来て世間並の大人になる予定でした。
仕事は毎日一時間の電車通勤で、退社時間には同じ車両で、毎晩晩酌している先輩から、「一緒に飲もう」と誘われ、列車内での日課となりました。列車に乗る前の四十分余りの時間に、居酒屋へ行って飲むため、終業のチャイムと同時に駅へ向かい、待ち時間の間に焼酎をお湯割で三~四杯飲んで帰宅。居酒屋で飲んだ事を家族に隠し、晩酌の酒を流し込んでいました。居酒屋で飲み過ぎて乗り越し、終点まで行って、タクシーで帰宅したことは、数えたらキリがありません。酒に対してうるさかった家族に嘘をついて、ベッドの下に隠しておいたウイスキーや焼酎を、ラッパ飲みして隠れ酒をしておりました。二番目の子供が生まれる時、妻に「お父さん今晩か、明日には生まれるかもしれないから、今日は飲まないで」と釘を刺されていたにもかかわらず、ベッドの下に隠してあったウイスキーを飲んで寝ました。0時を過ぎた頃陣痛が起きて飲んでいる事を隠し、車を運転して病院へ向かう途中、一斉検問につかまりました。警察には隠すことが出来ず、妻は救急車で病院へ搬送されました。
私は警察の取調べを受け、危うく飲酒運転で逮捕されるところでした。三~四十分程取調べを受け、パトカーで病院に向かいました。私が病院に到着して間もなく、娘が産声を上げたのを覚えています。今でも妻と娘には申し訳ないと思っております。昭和六十二年の三月、三十歳の時に二度目の転勤で、茨城に赴任しました。知らない土地で仲間を作るのには、酒が一番と職場の先輩に誘われ、歓迎会、飲み会と飲み続けました。そのうちに自分だけの居酒屋を見つけ、一人だけで飲む様になりました。車通勤だった私は、飲みすぎると怒られるので、誰にも気兼ねなく飲める所を探し、コンビニで買ったウイスキーを、公園の駐車場で飲む様になりました。何日も家に帰らず、公園の駐車場で寝起きして、浮浪者のような生活をしたこともありました。車の中で自由に酒を飲み、無くなればまたコンビニに行って酒を買い、二日酔いどころか酔っ払ったまま会社に出勤していました。職場の先輩から毎朝酒臭い、酒の飲み方がおかしいと指摘され、女房が保健所に相談に行き、茨城県精神保健センターを紹介され、一緒に行ってアル中と診断されました。三十五歳の時でした。最初の入院は、平成三年で豊後荘病院に三ヶ月間お世話になりました。退院して直ぐに茨城県断酒友の会にお世話になり、七年間断酒しましたが、チョットした意見の食い違いから会を辞める事になり、会を退会して三ヶ月経ったころ、再飲酒の落し穴が待っていました。女房と子供が実家に帰省する為、駅まで送り、缶コーヒーを買う為にコンビニへ立ち寄った時、何の躊躇いも無くウイスキーを手に持って、レジで金を払い車に戻りました。不思議な事に、家に帰らず近くの公園の駐車場に入り半分を飲み、残りを家で飲み干しました。家族が戻ってきて、依存症者がおおっぴらに家で酒を飲めるわけも無く、また公園の駐車場での酒飲みに後戻りです。公園の駐車場以外では、駅のコインパーキングや、別の離れたコンビニの駐車場。砂利置き場等々。誰にも見られない様なところを探して転々としていました。家でも我慢できず、直ぐに隠れ酒になり、押入れに隠したウイスキーをいかに妻にバレズに飲めるか一苦労でした。その間、自分では止めなくては、と思いながら「七年も断酒出来たのだから、いつでも止められる」という間違った自信が有り、毎日「この一杯で止めよう」「明日から飲まずに帰って素面で出勤しよう」と心の中で誓うのですが、結局自分ひとりの力では止める事が出来ず、三年間飲み続けました。その三年間の間に胃潰瘍になり、胃癌を患いました。幸いな事に癌は早期発見で内視鏡で摘出でき、三週間の入院で済みましたが、退院後も酒は止められず、毎日ウイスキーをボトル半分以上空けていました。結局は会社に遅刻をし、酒気帯びで仕事に穴を空けて「戒告処分」会社から「体を治し直して来い」と言われ、再度豊後荘病院のアルコール病棟に入院しました。約三ヶ月で退院、自助グループに繋がる為、水戸断酒会に入会させてもらうことになりました。ここでも妻が先に断酒会に繋がっていて、すんなりと入会する事が出来ました。これまた妻には頭が上がりません。
入会して早十六年の月日が流れましたが、初めの二~三年は断酒会に籍をおくだけの不良断酒会員で、酒を飲まなければ問題ないと、例会にも余り顔を出さず、自分勝手に生きてきましたが、新しい入会者も増えてきて、このままでは感じ始めました。家族も酒を止めただけでは納得してくれません。酒を止め、迷惑を掛けた人達にいかに償いをするかだと思います。また、酒を忘れる為、興味のあるいろいろなことに積極的に取り組みました。五十歳を過ぎてマリンジェットの免許を習得、中古ながらマイジェットも持つことが出来ました。八年前に宮古島へ旅行に行って体験ダイビングをし、長年の夢だったスキューバーダイビングにも挑戦し、翌年宮古島でライセンスを習得しました。自分の夢に挑戦できるのも、家族・断酒会の仲間と共に断酒をさせてもらっている御陰だと感謝しております。「座して流れに身を置くのではなく、自らの足で一歩踏み出さないことには何事も始まらない」と最近気がつきました。何事にも経験、何かを見つけ、挑戦することを生きがいにして、「一日断酒」「例会出席」を続けて断酒していきたいと思います。

 

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